8月23日
ずんだ団子
子供の頃柳美里の小説を読んだときに、中学生くらいにはなっていたかもしれないけれど、難しいし心情を理解するにはまだ歳も頭も追いついてなかったけど日本語として読めてはいた。それが最後のところで、全く理解できなくなってひどく驚いたことを今日なんか思い出した。
同じ日本語なのに、本当に急に最後の方のとある段落から急にわけがわからなくなった。単語の意味も文法も何も変わってないのに。
タイトルも忘れてしまったし手元にももうないので確かめようがないのだが、小説は書いてる本人にもわからない何かを書くものだとすれば、むしろそれが普通なんだろう。
わたしはそこで「うげっ!」となった。
そのわけのわからなさが、作者そのものというか、作者のなかに渦巻く何かの塊なんだろうというのは多分わかって、それに「うげっ!」となった。
だけれども、希望だとも思った。そんな「うげっ!」なものがかたちになるんだ、しかもこんなわけのわからんかたちにできるのなら、してもいいことが、現にこの本があることによって証明されているのだから、やってもいいんだ。と、そこまで思ったかどうかは覚えてない。