12月13日

それでさっき、「ハレルヤ」を読んだ。

私はなんで保坂さんがずっと好きなのか考えながら読んだ。

ひとつは、多くの人が多分大前提として疑わない例えば、時間は一定方向に流れている、レベルのことを、「本当にそうですか?それで普通に生きていける人はいいけど、しんどいと思ってるなら、別にそういう風に思わなくても、考え方は他にもあるし、考えることはやめない方がいいよ。」

というようなことを、多分すべての小説、エッセイの中で言っているからです。

この「ハレルヤ」では、これまでに立ち会ってきたねこの死を、その悲しみや無力感と保坂さん自身がどう考えて向き合ってきたかを知るわけですが、私は保坂さんはいつも軽やかにひらりひらりと世間の重苦しさをかわしてるようなイメージで捉えていましたが、保坂さんだって、当たり前だけど、苦しんだし、悲しんだ。そこからこの言葉は生まれている。