7月25日

【メモ】

8時〜16時仕事。家を出るのは7時過ぎで今までは言うても涼しかったのですが、今朝はいよいよ暑くなったな〜、としみじみ思う。車の生活だと暑さ寒さをかなり回避出来るので、これは10年振りくらいの感じかも。

今日は荷物がたくさんあった。ずっとコミックの品出し。

12時休憩、お弁当。カブの葉炒めをまぶしたご飯に卵焼きと人参の漬物。具の彩りは悪くないのに全体の見た目がかなりよろしくない。美味しそうに見えない。仕切りが曖昧なせいだろうか。弁当箱がただのタッパーだからだろうか。

仕事帰り、摩耶駅から南を向くと、夏の空に夏の雲。暑いが商店街までの坂道は日陰。

商店街でご近所のお友達に会う。

とうもろこしとビールとトイレットペーパーとアルミホイル。全部で600円くらい。

帰宅後、夕飯の準備。汗だくで帰ってきてそのまま直ぐに米を研ぎとうもろこしご飯を炊く。間髪入れず豚肉と野菜の炒めものを作る。クーラーかけてはいるけれど、滝のように流れる汗。

とうもろこしご飯が炊きあがるのを待ちながら炒めものとカブの漬物でビール。

 

とうもろこしご飯、美味しくてびっくりした。

https://www.sirogohan.com/sp/recipe/morokosigohan/

このまま作りました。

ラジオを聴く。

 

 

7月24日

「BLUE VALENTINE」

ある夫婦がだめになっていくんだけど、彼らが出会って愛し合うようになるシーンと、もうだめなんだけどどうにかならないか藻掻いてでもやっぱりだめだ…というシーンとが交互に映し出されて、二人の生い立ちや育った環境、そのせいでそれぞれが無意識にか避けてしまう相手との対話、すれ違いの積み重ねが切なかった。

二人が愛したのも、お互いのその無意識の寂しさと優しさだったと思うからなおさら。

7月24日

【メモ】

多分9時くらいに起床。

フルグラ。コーヒーを入れる。マグカップに乗せるだけのドリップバッグ。

洗濯、アイロン、片付け、掃除等をラジオを聞きながらうだうだとやる。

あ、起きてから11時過ぎまでネトフリで映画観たんだった。

「BLUE VALENTINE」

昼ご飯はお好み焼き、人参の漬物。

15時くらいまでうだうだと家事、日記、手帳にいろいろ書きつけるのをやる。

それから、けしごむはんこを2個作る。今月末は二ヶ月ぶりのみつばち古書部店番。

17時過ぎ、日中は暑かったので少し日が陰って来た頃に外出。三宮のユザワヤにはんことZINEで使う紙を買いに。ポイントカードで10%OFF。その後ブックオフに久々に行って、3冊買う。

それから、サンプラザの喫茶店に。

ふと思い出して2階の清泉堂に行くが会いたかった店員さんはいらっしゃらず。

B1の「どん底」という喫茶店

初めて一人で入る。二時間ほど本を読む。

茨木のり子の「ハングルへの旅」を読んでいる。途中、ハングルの文字の成り立ちについて気になる個所があり、大学のときの後輩で台湾独自の文字を研究していた友達にラインで質問などしながら。ハングルについても分かりやすい返答を頂き、こんな読書、めちゃくちゃ楽しいやんか、と思う。

20時帰宅。

カレーの具を炒めたやつをさらにコチュジャンで炒めたやつをさらに中華スープで煮て卵など落としたやつ、じゃこと生姜のみじん切り、ごま油を少しかけた冷奴、ご飯。

ラジオを聞く。

 

 

7月23日

【メモ】

8時〜14時仕事。雑誌、コミック、芸術書を出す。しばらくは色んなところの品出しが続きそう。

帰宅後、昼食と夕食を同時に摂る。野菜のかき揚げと冷やしうどん。

少ない油でも上手く揚がった。一人分の量が分かってきた。

また夕方にすごい眠気。一時間寝る。

外出の支度をして今日はワールドエンズガーデンに落語を聞きに行った。

落語家さんの声は独特で、その場の空気を掴むなぁと思った。雰囲気という意味の「空気」でもあるけど、本当に空気そのものを掴んで震わせてる感じがして、ピリっともするし、心地よくもあった。

 

帰りにマルハチで買い物。ビール。カレーの具をどうしようかと思って、コチュジャンとにんにく、みりんお酢でさらに炒めてみたけど上っ面な味がした。明日肉も入れてもう少しこってりさせてみよう。今日は甘いものも買ってきて食べた。

7月23日

もともと食に興味がないというか、食べ物に情熱を持たないのだけど、越してきてからはまともに料理をしなければ毎日を精神的に維持できないと感じて、やっている。

 

姫路のときは、徒歩3分以内にお惣菜の美味しいスーパー、コンビニ、調理済み食料品がたくさん置いてあるドラッグストアが揃っていて、僅かな「料理しないとな…」という意識が日々削がれていた。いや、大して意識もなかったし、まだ精神が実家とひと続きになっていて、一人で暮らしているという感覚が薄くちょっと離れた一人部屋くらいの意識だったかもしれない。

こちらに来てもうすぐ一ヶ月経つが外食や出来合いのものは殆ど食べていない。それは食への情熱が湧いてきたからではなくて、生活とは。ということを実家に戻った5ヶ月間ずっと考えていて、買い物して、料理して、食べて(食べさせて)、片付けて、というのが生活の割と大きな部分を占めているということを見て、私は生活のことをずっと軽視していたし、本当の生活を知らないと思った。それでまずはまともな料理だ、と思ったのだが、いざ一人になって、それは本当にそうだった。

実家から姫路と神戸は距離的にはそんなに変わらないのだが、私はこちらに来るときは、なぜか姫路と違ってもうずっとこちらにいる前提で来た。姫路へは、一時的な避難のような感覚だったかもしれない。姫路の2年間を経て、いよいよ私は一人で暮らしたいと思える場所を見つけ、それで来たら、いよいよだ‼という新たな気持ちよりも全然(本当に全然!)寂しくて仕方ない。毎日寂しくて、新しい職場の人が優しくても、お気に入りの喫茶店を見つけても、どうしても寂しい。そこで私が無意識にやりだしたのが料理で、それと掃除とそのへんを歩き回ることだった。

生活とは寂しいもので、それは一人暮らしだからということではなく、生きて生活することはそもそも寂しいことで、生活を本当に始める第一歩はその寂しさに気づくことで、寂しいと人は料理して、歩く、料理や歩くことの中には、寂しさを紛らわすのではなくて、客観視したり受け入れたり分析したり、気付いたことや気づきそうなことを深めて考えるきっかけになる何かがあるのか?

 

で、その辺りのことを今別の文章に書いている。

7月22日

【メモ】

8時〜14時仕事

地下のセリアで煮物用と漬物用の小鉢を買う。

帰宅、カレーうどん

雨激しい、外出の支度完了後ちょっと横になったらそのまま寝てしまった。

18時灘温泉。

露天風呂で1.3時間ほどぼんやりする。考え事いろいろ。

20時水道筋商店街

交番の前の八百屋でかぶとピーマン、マルハチで牛乳、ちりめんじゃこ、ごま、みりん

頭の中のメニュー

カブの葉とちりめんじゃこをごま油で炒めてご飯のお供にする。カブは甘酢漬、ピーマンは玉ねぎ、人参とかき揚げにする。冷やしうどんかそばと食べる。

カレーの具炒めたやつがまだ残っている、カレー飽きたので煮物にするか。

豆腐もある。冷奴にしようかな。しょうがたっぷり。

7月21日

今日はというか今週はがんばったので、自分がんばったな!と思ったのですが、前の仕事辞めたとき、もうがんばらない、と決めたのにがんばってもうたな〜、と思いました。

それに昨日、人に、「がんばって」と言ってしまったな…。

 

そこでちょっと考える。

前の仕事を辞めたときもうがんばらないと決めたときの「がんばる」の意味と今日「がんばった」の意味は、同じだろうか。

 

がんばる=我慢

だと思ってたんです、前は。本当に辞めようと決めればいつでも辞めれたんです、多分。

でも今週はね、嫌なことだろうが何だろうがやるしかない、からやったのです。やらないわけには行かないから、やったのです。

で、やり遂げました。だから、がんばって良かったね、と言ってもいいかなと思います。自分には。

 

昨日人に言った「がんばって」は、その人にとってどう響いただろうか。人から貰う「がんばって」も「がんばらなくていいよ」も、どっちも嬉しい、ありがたい。それと同じくらいに、他人事だなと思う。自分が言うときは「手伝っていいなら手伝うよ!」と思えるときにしか言わないし言えないんだけど、それでも相手にとってはどこまでも他人事なんじゃないだろうか。「じゃあ手伝ってくれる?」とはなかなか言えないだろうし。言ってくれたら「喜んで‼」となるんだけど。自分だって言えないし。言ったら相手が「喜んで‼」と言ってくれると分かったとしても、言えないし。