1月17日

不思議な日だった。

神戸でむかえるはじめての1月17日に、大事なものを失うことと、大事なものができることの、言葉に出来なさ、気持ちの共有のし難さを考えた。

「共有は出来ない、それでも」と、安易に手を伸ばすことすらはばかられる。

そういうことを、ぼそぼそと、ポツポツと、初対面なのに話ができた人たちと、今日、あの場所で、あの映画を観て、過ごした不思議な時間のこと、その記憶は共有できる。それしか共有出来ない。